【blog小説】ウト・ガリアラカロ・ココ 最終章

目次

震災の爪あと(石巻原)

笠原を石巻原、
観光してやりたかったが、

震災で破壊し、現在も
復旧していなかった。

僕は、レンタカーで、
石巻原の震災被害地を
案内することにした。

僕は、石巻原の商店街があった、
『北上川の中洲』に、
笠原を案内した。

「中瀬は、内海橋で
川の両岸と、つながっており、

かつては造船所が並び、
映画館や商店・住宅があった。

津波で、建物の多くが
流され..

辛うじて残った、
教会も復旧していない。

駅から近く、川と共に
発展してきた、石巻原の歴史と、

津波の被害の大きさに、
思いを馳せる場所だ。

中一のとき、
ここにあった、
衣料品店で、
ハンドクリームを買って、

母に、プレゼントした、
ことがあるが、
店ごと津波で流され、

ハンドクリームを
売ってくれた叔母さんは、

亡くなられた..」

大川小学校

大地震直後、石巻原市大川小学校の
生徒たちは、担任教諭に率いられ
校舎から校庭へ移動した。

我が子の安否を心配し、保護者の
迎えの車が、5~6台到着していた。

2時52分、高さ6m、
大津波警報が発令された。

クラス担任が、生徒全員の
点呼を取った後、校舎内は、

ガラスが飛散して危なく、
裏山は、急斜面で足場が悪いので、

200m西側の、新北上大橋の
たもとにある、小高い所を
避難場所として、目指す事になった..

教諭たちに、率いられ
小学校生徒たちは、

列をつくって、校庭から
山際沿いに出た。その直後、

ゴーと恐ろしい音がした!

北上川から溢れ出た、
巨大な津波が全域を襲い、
生徒たちは、列の前方から

波に飲み込まれた..

後列の教師と、生徒たちは、
裏山を駆け上り、数人は助かった。

ヘルメットを被って、いたため、
頭が浮いて、助かった子供も
何人かいたそうだ..

大津波は、2階建ての
校舎の屋根を乗り越え、
高さ10mまで遡上、

「まさか、こんな所まで
津波が押し寄せるとは、
思いもしなかった..」

と、生き残った教諭は、
震災後、詳しい状況を話した。

学校前には、
スクールバスが待機していた..

バスの運転手さんは、待機していた為、
犠牲になられた。

教師は、

「学校の方が安全だから、
残った方がいい!」

住民は、

「山まで津波は来ない..」

と、言った。

6年の男子は、

「山さ逃げだ方がいい!」

と、訴えた。

その後の惨事だった..

翌日、自分の子供を捜し始めた、
親たちは、無事避難したと
思っていた人たちが大半だった..

釜谷地区は、1cmから、
50cmほどの泥が、全体をおおい、
学校付近まで冠水、

裏山の麓から約30名、
校舎内や1km上流で、何人かの
遺体が発見され..

富士川を堰き止め、川底を掘り起こし、
捜索する事態となった。

泥に混じった、泥だらけの遺体は、
瓦礫と見分けがつかず、
捜索に困難をきたした。

わかりやすく例えると、
有明湾の干潟(泥の中)
にいる、ムツゴロウだった。

また、溺死した死体は、
膨れ上がり、判別するのに
時間を要した..

我が子は、ビニールシートに包まれ、
裸のままで、目や耳や鼻や口に、
泥が詰まっていた..

こみあげてくる物を抑えながら、
泥だらけの、わが子の体を
水で綺麗に洗った。

そのときである、

死んだはずの子供の目から
1粒の涙が流れ落ちた..

[宮城県石巻原市大川小学校]
生徒108人中、
68名死亡6名行方不明

11名の教諭の内9名死亡
1名行方不明。

釜谷地区

川沿いに自宅があった住民は、

高さ4mの北上川の堤防を越え、
川へ流れこむ津波を見てから
避難した。

急いで軽乗用車に乗り、
堤防沿いに新北上大橋の
方へ車を飛ばした。

途中、外で立ち話を、
している人たちに、

「逃げろー!津波が来るぞー!」

と、叫んだが..

世間話を、していた人たちは、

「だいじょうぶ!」

と、言いながら手を振っていた。

危険と、受け止めてくれる人は、
ほとんどいなかった。

津波が来るなんて、思っていなかった..

しばらくすると、助けを求める声がして、
その方へ歩くと、木の枝に、
つかまっていた、女性や子供を見つけた。

内陸の方へ、流されながら、

「助けてー」

と、叫ぶ子供たちの声を聞いたが、
流れが速過ぎ、瓦礫に隠れて
姿が見えない、

その声も遠ざかって行った..

その付近の、釜谷(かまや)地区
住民の4割189名が、
この大津波で死亡した。

横で静かに聞いている、笠原に言った。

「笠原.. このあたりが石巻原でも
一番被害の大きかった地域だ!」

現在は一面、野原になった街を、
見ながら、笠原は泣いていた..

 僕は、青木 早苗、
彼女の事が知りたかった。

(石高)に向け、車を走らせた..

早苗さんの真相

2010年、当時、
定時制で担任をされていた、
西山先生をたずねた。

先生は、現在、
全日制で、物理を担当されていた。

僕は、簡単な自己紹介をして、
早速、彼女の事を聞いた..

「2010年の事なのですが、
定時制を担当されていた,

西山 先生でしょうか?

僕は、当時、
同じ教室で全日制に、
在学していた、対馬と申します。

つかぬ事をお聞きしますが..

青木 早苗 さんと言う生徒を、
覚えて、いらっしゃい
ませんでしょうか?」

先生は、
しばらく考え込んでいらした。

「青木 早苗 ねぇ..」

卒業アルバムにも、
彼女の写真は、なかった..

なぜ、アルバムに写真が、
ないのだろうか..?

そう思っていたとき、
先生が思い出された!

「思い出しました!青木 早苗は、
クラスの中でも飛びぬけた、
明るい子でした。

確かに、青木 早苗は、
私の教え子でしたが..

2010年3月、赤十字病院に、
緊急入院したのですが、
翌年他界しました。

悪性脳腫瘍との事でした..

確か自宅は、石高の
近くだったはず..

住所は.. 
蛇田新西境谷地 ですね。

ここから、10分くらい
の場所ですね、

詳しくは、自宅でお聞きに、
なられた方が、宜しいでしょう..」

青木 早苗は、亡くなっていた..

僕は、ショックで言葉がでなかった。
教えられた住所に車を走らせた、

新境町公園の前に車を止め、
笠原には、車で、
待ってもらうよう、たのんだ。

蛇田新西境谷地 6-....

青木と書かれた表札を見つけた、
門をくぐり、ドキドキしながら
インターホンを押した。

なかなか、反応がない..
留守かと帰ろうとしたとき、

「は~い 青木です。」

声がした!

僕は慌てて、話した、

「突然申し訳ございません、
私、石高の卒業生で対馬と申します。

石高の西山先生に、こちらの住所を伺い、
まいりました、

早苗さんの、ご自宅は、
こちらで、よろしかったでしょうか?」

しばらくし、声が聞こえた。

「早苗のことで、なにか?」

この家で、間違っていないようだ..
僕は詳しく、経緯を説明した。

「母は、大橋団地の仮設で暮らしています。
現在、防大医科で学んでいますが、
夏休暇にて、石巻原に帰省しています。

4年前(石高)全日で早苗さんと、
同じ教室の、同じ机で学んでいました。

早苗さんの、ことで、
お聞きしたいことがあり、
伺いしました。」

話が、つうじたようだ..

「わかりました、少々お待ちください..」

次の瞬間、「カチッ!」と、
玄関の扉が開いた。

歳のころなら、50歳すぎと思われる
早苗さんの、お母さんが姿を現せた。

「よくいらっしゃいました。」

僕は、応接間に通された。

「おかけになって、お待ちください。
いつまでも、暑いですね..
今、クーラーをつけますからね、」

開けられていた窓が閉められ、
クーラーのスイッチを入れられ、
部屋から出て行かれた。

しばらくすると、応接室のドアが開いた。

「あなたが、和美さん、でしたか..
麦茶でも、どう~ぞ!

早苗に和美さんが、来られたら、
渡してくださいと、
ノートを預かっております。」

なぜ、僕の名前を?

早苗さんは、
僕が尋ねてくることを、
知っていたのだ!

僕は、なにがなんだか、
わからなくなってきた..

一口、麦茶をよばれた、
す~と 心が落ち着いた..

お母さんは、詳しく話し始めた。

「2010年1月30日、早苗は、
起き上がる事もできない頭痛に襲われ、
赤十字病院に救急搬送されました。

検査入院をした所、大脳に、
悪性脳腫瘍が見つかり、

休学届けを提出し、2月12日から、
入院生活が始まりました。」

僕は、早苗さん、との
交換ノートの記憶を思いだした,,

「ウト・ガリアラカロ・ココ」

和美 君 あんた、
甘えるんじゃないよ!

10年間虐められ続けている!?

毎日パンを買いに行かされている!?

プロレス伎を掛けられた!?

夢がない!?

虐めに対して一度でも
抵抗した事がある?

ほかに 虐められてる人を見て、
一度でも助けた事がある?

世の中にはね、あんたよりつらい目を
している人が沢山いるんだ!

私が知っている、
3つの約束は、何か教えてよ?

それは、わかる日が必ず来るから
教えられないな~

自分がした約束だよ、
自分の頭で考えなよ。

2010年2月10日

2月10日の返信は、早苗さんの、
入院生活が始まる2日前だった..

僕は、僕は..
なんて小さな人間だったんだ!!

なんて無神経なやつだったんだ!!

自分に悔しくて、涙が溢れてきた..
ショックで、言葉を失った、

僕が、動揺しているのを見た、
お母さんは、ゆっくり話し始めた..

「腫瘍は、
ゴルフボール大の大きさがあり、
MRIでの検査結果、

腫瘍は、摘出不能な位置にあり、
化学療法にて、治療していくことに
なりました。

早苗は、闘病日記を書き始めました。
これが、早苗の闘病日記です。」

手渡された、早苗さんが、書いていた、
『闘病日記』を読んだ..

<3月6日 相変わらずの微熱。>

ほんのちょっぴりの喉痛のみ、
鼻水も出ないので花粉ではないかも。

毎年花粉の時期には、
抗アレルギー薬を、

飲んでいるけれど、今年は、
まだもらってないし、まだ寒いので、

花粉の舞う
時期じゃないと思うのです。

でもまあ風邪としても、ひどくなって
ないからだいじょうぶ。

それより今日は、起きてすぐから
動悸&細かい顎のガクガクが出たり、

昼間も何も負荷は、かかって
ないはずなのに、
同じようになったりで、

そっちのほうが心配。

昨日もだったし..

もしかして、多く飲んでいる
テグレトールの副作用?

痙攣止めの
血中濃度上昇による副作用は、

懲りてるから、
慎重に観ていかなくちゃ。

<7月21日 夏休みが始まった>

病室に午前中から子供の声、
夏休みが始まったんだ..

朝食を採って薬をのんでと、
しかし、食欲ないな..

朝の点滴が、始まるまでに
トイレすませなくては、

この前は、点滴中トイレに
行きたくなって大変でした。

そうそう、今朝から飲む、
お薬が1種類増えてしまいした。

それにしても、朝から11錠は多い..

今日は、
うれしいお知らせがあります!

母にたのんでおいた、iPhone4が、
届くのであります!

寝てばかりで、筋力が落ちちゃうと
歩けなくなるもんね、

今日も暑いけど、
リハビリがんばらなくっちゃ。

それにしても、子供は、
朝からハイテンション!

私も、そのような次期が、
あったのでありました。

<9月18日 パリ旅行>

iPhone4は、魔法の道具、
買ってもらったiPhone4で、
地図を見るのが、
日課になりました。

いつも、世界旅行をしています..

このまえは、
フランスのパリに、でかけました。

モンサンミッシェルから、
パリの美術館、
ルーブルを訪れました。

モナリザ、
そして、フランドル絵画、

ギリシャ彫刻
(ミロのヴィーナス)を見て、

凱旋門、シャンゼリゼ通りや、
エッフェル塔など、
パリの風景を楽しみました。

<9月21日 ローマ旅行>

今日は、ローマ旅行なのです。
パンテオンを見物して、
サンピエトロ大聖堂、

トレヴィの泉、コロッセオを見て..

毎日が、
ヨーロッパ旅行の予行演習なのです。

<10月12日 憧れのハワイ>

日本は、秋だけど、

どこまでも続く青い空と海、
降りそそぐ常夏の太陽、
色彩豊かな大自然、

人々の笑顔にあふれる
アロハ・スピリット、

そして、永い時を経て受け継がれる
豊かな歴史と文化のロマン、

ハワイの6つの島には、数々の発見に
出逢える個性豊かな表情がいっぱい、

ホノルルのシンポル的、存在の
ダイヤモンドヘッド、
山頂からは青い海、

シュノーケリングでは、
トロピカルフィッシュや、

運が良ければ、
ウミガメにも出会えるかも。

早く病気なおして、ぜったい、
旅行、行くんだ!

<11月15日 お誕生日、
おめでとうございます>

お恥ずかしながら、
今日で23歳になったのであります。

それにしても、薬の副作用とはいえ、
うら若き乙女が、まるぼうず とは..
トホホであります。

それと、食事規制で、
お誕生日ケーキなど当然なし..

旅行の予行演習は、バッチリだし、
こうなれば、iPhone4で、
You Tube見まくるぞ!

23歳のお誕生日、早苗ちゃん、
お誕生日おめでとう!

自分だけで、祝うのでありました。

<12月25日 メリークリスマス>

クリスマス・イブの夜、皆さま、
いかがお過ごしでしょうか?

小さい頃は、クリスマスには、
目を覚ますと、枕元には、

寝てる間に、サンタさんが、
私の欲しいプレゼントを、

おいてくれていて、

すごく嬉しかったなぁ..

今日のわたしは、
昨夜とっても寝不足、

今朝は、
幸いリハビリも調子が良くて、

リハビリ後も、発作も起きなくて、
すぐひと眠りするつもりが、

延び延びになった、
カードの転居手続きや、

夏の重積痙攣入院の
保険請求の署名とか、

昼食の時間に、なっちゃったから
食べてから絶対お昼寝しよう。

今年も聖夜を、
迎えることができたことを、
皆さまとともに感謝しつつ、

また、病にある人に
癒しがありますように。

メリークリスマス!

お母さんが、静かに話された。

「年を越した新年、あれほど明るく、
元気だった、早苗の容態が、
急変しました。」

<2011年1月28日 早苗の容態>

目もしっかりと開いて、
いろんなところを
見ていますし、名前を呼ぶと、

瞬きをしたり、
表情は変わりませんが、
視線を合わせたりします。

体も自分では、動かせなくなって
しまったので、酸素の量も、
そんなに必要なくなって、

少ない呼吸でも、バランスが
とれているのかもしれません。

先生のお話では、もう視力は、
ほとんどないとのことでした。

いつも、なにを見ているのでしょう..

代わってやれるものなら、
代わってやりたい..

<永遠(とわ)に>

2011年3月4日 午前0:21分、

早苗が旅立ちました。
とても穏やかでした..

早苗… よくがんばったね。

偉かったよ.. お疲れさま、、

もう苦しいことはないね、、

解放されてよかったね、、

おうちに帰るんだよ….

あれほど楽しみにしていた旅行、
いっぱい行こうね..

お母さんが、
一冊のノートを差し出された。

「これは、対馬さんが来られたら、
渡してくれと、早苗から、
預かっていたノートです。」

まさしくそれは、早苗さんと僕の、
ピンクの交換ノートだった..

僕は、ゆっくり、
ページをめくった。

そこには、ピースをして、
無邪気に笑う、早苗さんの、
プリクラシールが貼ってあった。

ノートには、2010年2月10日で、
止まっていた返信が書かれてあった..

書かれている文字は、
いつもの丸文字ではなく、
ふるえるような

渾身(こんしん)の力をこめ、
1文字づつ”、
丁寧に書いてあった。

しかも、長文だった..

こみ上げてくるものを、
押さえながら、
早苗さんの返信を読んだ。

早苗さんからの返信

和美 君、返信が遅くなり、
申し訳ありませんでした。

実はわたし、脳にオデキができて、
赤十字病院に入院してるんだ。

ゴメン!動揺しちゃって、
和美 君にきつい返信書ちゃった。

『万事塞翁が馬』

でもね、和美 君の周りで、
おこっている事、

私におこっている事、全てに、
意味があるんだ。

本当だよ..

私はね、言葉に宿ると信じられた、
霊的な力「言霊」を信じてるんだ。

声に出した言葉が、
現実の事象に対して、

何らかの影響を与えられ、
良い言葉を発すると良い事が起こり、

不吉な言葉を発すると、
凶事が起こるるんだ..

それとね、人は、
みんな、この世に生まれて来るとき、

3つの約束をしてるんだ。

和美 君は、まだ17歳、
これから人生経験を積んでいく、

必ず、3つの約束が何か、
判るときが来るって。

入院して、
よくラジオを聴くようになった。

『川の流れのように』と言う曲を、
いつも耳にするんだ..

わたし、You Tubeで、
何回も、何回も聴いた..

歌詞は、私自身、
そのものだった..

曲を聴くたび、涙が溢れた..

最近、体がだるいんだ..

耳も聞こえなくなってきた..

視力も落ちてきた..

実は、この返信も、
一文字ずつ虫眼鏡を使って書いてる..

そんな訳で、和美 君、
読めない文字があっても、
カンベンしてね。

和美 君がこの返信を目にするとき、
きっと きっと大きな人間に、
成長していると、信じています。

2010年12月28日

早苗さんからの返信は、
これで終わっていた。

静かにノートを閉じた。

僕は、あふれ出てくる涙を、
止める事ができなかった。

しばらく顔を上げることさえ、
できなかった。

お母さんが、
思い出したように話された、

見えない糸

「そう言えば、対馬さん
防大医科に通われていると、
おっしゃっていましたね..」

僕は、早苗さんが書いた、
交換ノートのショックを、
おさえながら、答えた..

「ハイ!防大医科 34期です。」

お母さんが、冷静に話された、

「実は、兄の二男が 防大医科 出身で、
現在、『仙台市急患センター』に、
勤めております。」

防大医科 出身で、
仙台市急患センター…

僕は、藤井 竜二 先生の名前が、
すぐに浮かんできた。

恐る恐る、質問をしてみた..

「失礼ですが、仙台市急患センターに、
お勤めされている、お兄様の二男て..
もしかして..

藤井 竜二 先生じゃ、
ございませんか、、?」

お母さんは、即答された!

「ハイ、藤井 竜二です。
私の旧姓は、藤井と言います。

竜二は、8つ上の兄の次男です。」

偶然とはいえ、奇跡的な、
人と人との繋がりに驚いた!

宝くじが当たったような、
確率的に、
驚きが隠せなかった!

「えぇ~! と、と、言うことは...
お父様は、藤井 順三さんですか?」

僕の口から、藤井 順三 と言う、
言葉が出た事に脅かれた、

「父は、海軍で潜水艦に、
乗っていました。」

僕は、すかさず説明をした。

「防大医科の親友で、笠原と言う物が、
おりますが.. 彼のお爺さんは、
順三さんと、江田島で親友でした。」

お母さんが、鮮明に思い出された、

「笠原さん?.. 思い出しました!

あれは..私が小学校3年、
8歳の頃でした..

当時、父の同期会が、
東京で開催されたのですが、

銀座三越で私にクリームソーダを、
飲ませてくれた方が、
そう言えば、笠原さんでした。

優しそうな、叔父さんでした..」

僕も、笠原も、早苗さんも..
すべてが、見えない糸で繋がっていた、

その後の事は、まったく記憶がない..

気がつくと、僕は、
門をくぐり、玄関の扉に向かって、
45度の最敬礼の、お辞儀を、

5分以上続けていた。

我に返った、

笠原を車に待たせていた事を、
すっかり忘れていた!

車に急いで帰った。

最近の自動車は、
装備が充実しているのには、
驚かせられる..

笠原は、
車に備え付けられている、
テレビを見ていた。

僕は、
笠原に対し平謝りをした..

「笠原、すまん!
長く待たせてしまった!」

取り越し苦労だった、
笠原は、
まったく、
気にしていなかった。

「対馬、見てみい!
オールスターゲームの
ファン投票で、

カープから、
8選手選出も選ばれたで~

8選手もじゃ!
こんなことは初めてじゃ!

これも(カープ女子)の力じゃ、
とテレビでも言うちょった!

ことしのオールスター第一戦は、
赤ヘル戦士が大活躍じゃ!

エルドレッドもMVP取ったし、
もしかしたら、
オルスター軍団の力で、

今年は、
優勝するかも知れんで!

今年が駄目でも、
こりゃ~ 近いうちに絶対に、
優勝するで!

ぶち!気分がえぇ~
ガハハハハ…」

長く待たせたので、
すごく、怒られるんじゃないかと、
ビクビクしていたが..

この上なく上機嫌だった。
上機嫌の笠原が、
ニコニコしながら言った、

「そう言やぁ~
ゆっくり話ができたか?」

石高で、虐めに合っていた事、、

石高の定時制に通う、
同じ席に座る
青木 早苗と言う女の子と、

交換ノートをしていた事、、

そして、藤井 竜二 先生は、
青木 早苗さんの、従兄弟だった事、、

母方のお爺さんが、
藤井 順三さんだった事、、

笠原に、今までの、
全ての経緯を話した。

笠原は、
小さな声で意味深く言った..

「対馬、不思議なもんじゃのう~

地球の人口72億人の中で、
対馬と巡り逢った..

そして宮城に、来る事になった。

そこで、藤井 先輩に巡り逢った..

藤井 先輩のお爺さんと、
わしの爺ちゃんは、
江田島で戦友じゃった。

そして、藤井 順三さんは、
早苗さんの、祖父でもあった..

ほいで、対馬! おまえも、
藤井 順三さんも、
同じ(石高)出身じゃ!

奇跡じゃと、思わんか~?

わしは、奇跡じゃと思う..」

奇跡

笠原に、
北上川の、中州にありながら、
奇跡的に津波の被害を免れた、

『石ノ森萬画館』

を、案内しようと思った。

「笠原、石ノ森萬画館は、
旧北上川河口近くの中州にある。

ここから、県道33号で、
10分あれば着く、

行ってみよう!」

僕は、石ノ森萬画館について、
車中で説明をした..

「この建物は、
漫画家、石ノ森章太郎の作品を
展示している会館で、

数々のヒーローを生んだ、
漫画家・石ノ森章太郎の記念館で、

斬新な宇宙船をイメージをした、
デザインの建物となっている。

2011年3月11日午後2時46分、
東日本大震災が発生、

石巻市に、
大津波警報が発令された。

地震発生から約1時間後、
津波は旧北上川を遡上。

萬画館は、一気に、
津波にのみこまれてしまった。

がれきの山が押し寄せたが、
萬画館の手前でそれ、
衝突しなかった。

建物の河口側が、
斜面に作られていたので、

津波のコースが、二股に、
それたからではないか?
と、言われている..

避難してきた人々、
津波に流されてきた人々、

近所の人、家族連れ、
子どもから高齢者まで、

計38人の被災者が,
萬画館に避難し。

浸水をまのがれ、
3階図書室で救助を待つ間、

貯蔵された食料や飲み物で、
命をつなぎ、

仮面ライダーなど、
石ノ森ヒーローが活躍する、
漫画本を読んで過ごた。

3日目に水が引き、

自力で動ける人は、
避難所や実家へ移動..

5日目に自衛隊が到着し、
全員が萬画館を去り、

臨時避難所となった、
石ノ森萬画館は、使命を終了した..」

僕は、川向こうにある、
立体駐車場に車を止めた、

「笠原、行こう!」

1Fのロボコンを見て笠原は、
懐かしそうだった..

僕たちは、2Fに上がった、

  • サイボーグ009
  • 仮面ライダー
  • 人造人間キカイダー

笠原は、
サイボーグ009と言うのは、
聞いたことはあるが、

見た事は、ないそうだ..

仮面ライダーと人造人間キカイダーを、
見て、子供の頃を懐かしんでいた。

3Fは、図書ライブラリーになっていて、
石ノ森氏の短編SFのタイトルから、
店名をつけたという、

カフェ「BLUE ZONE」で、
眼下に流れる、
北上川の流れを見ながら、

石巻原が見渡せる、高台にある
公園に案内しようと、思いついた。

「笠原、石高の近くに見晴らしの良い、
日和山公園という名所が有るんだ、

石高とは、目と鼻の先で、
よく行った..

石高もそうだが、
日和山公園は、標高60mくらいの
高台にあって、

東日本大震災では、多くの市民が
この山に避難した..

恐怖と絶望の中、
家族や友人の無事を祈りながら、

眼下に迫りくる大津波を、

ただ、ただ、
固唾をのんで、見つめるしか
なかった、場所で

命の山と、呼ばれた、

石巻原城があったと、
言われている..

僕は、日和山公園から見る、
破壊つくされた、石巻原の街を見て、

溢れでる涙を、止める事が、
できなかった、

当分の間、現実を、
受け止められなかった..

広島に行ったとき、
中国軍管区司令部跡を、
案内してもらったが、

いつも見ている風景が、一瞬のうちに
地獄とかした、光景を目の当たりにし、

「広島は、新型爆弾にて壊滅!」

と、第一報を全国に発信された、
彼女の気持ちは、痛いほどわかる..

申し訳ない、
暗い話になってしまった、

金兵衛茶屋と言う、
100年前から続いている、
由緒ある古い茶屋があって、

そこの焼きそば、もやしが、
しゃきしゃきで、美味いんだ!

ここから、5分弱あれば行ける!
笠原、行ってみよう!」

僕は、国道398号線を、
日和山公園第一駐車場に向け、
車を走らせた..

第一駐車場に車を止め、
金兵衛茶屋に向かった。

笠原が、指さした。

「おぅ!あそこに見えるんが、
金兵衛茶屋か..

ワシんちの近くにある、
お好み焼き屋に、店構えが
よう似ちょる..

それと、縁日で売られちょる、
お面が、えっと飾ってあって、
庶民的で、味がある店じゃ!

僕たちは、「いらっしゃい」と、
書かれた暖簾をくぐり、

アルミ製の引き戸を開け、
店内に入り、長椅子に腰かけて、

早速、焼きそばを注文した。

笠原が、一口食べて言った、

「広島のお好みも美味いが、
こりゃ~ もやしがシャキシャキで、

ぶち、美味いのぅ..
また、後がけソースがエエ!

対馬、団子とあるが、
普通の団子と、違うんか?」

石高 時代は、
この店によく来たもんだ..

「三色だんご、と言って、

それぞれ、団子の上に、
色の違う、アンがぬられている、」

笠原は、三色だんご 以外にも、
関心がある、みたいだ..

そりゃ~食べて見んといけんで!
それと、みそおでん と言うやつも
気になるのぉ~」

と言って、両方頼んだ..

「笠原、運転は僕がするから、
ビールを飲めよ!」

僕は、ビールを進めた。

「ほうか!対馬、悪いのぅ~

クゥー、、

こりゃ、たまらんわぁ..
生きかえるわ!」

と、言いながら
一気にビールを飲みほした。

5串ある三色団子を、
口いっぱいに、ほおばり..

「あんこが、
甘さ控えめで美味いのぅ~

ほいで、香ばしいごまが、
又、ぶち美味い!

みそおでんを、

「おぉ~ 6串も、あるで!」

と言いながら..

「こんにゃくを三角に切り、
茹でて
甘味噌を
塗っただけじゃが..

みそおでん の方も..
甘い味噌が、ぶち美味いのぉ!」

と、一気にたいらげた、

つくづく、笠原の胃袋には、
驚かされる、

それよりも、この店で売られている、
鶏ガラ・豚骨スープの石巻原ラーメンが、
すごく、美味いんだ!」

そう言っている間に、
笠原は、焼きそばも、
一皿、たいらげた..

「もちろん、 ラーメンも食わんと、
いけんじゃろう..」

僕も、懐かしかったので、
笠原と僕の分、2つ注文した。

笠原が、壁中に貼ってある色紙を見て、
だれか?有名人の色紙か?と、
聞いてきたので..

「石巻を、訪れた漫画家さんや、
地元出身の芸能人のサインだ、」

と、答えた、

「そういやぁ~ 中村雅俊 が、
石高の先輩じゃと、言っちょったよのぅ..
中村雅俊も、この店に来た事あるんか?」

その事は、わからないので、

「石高と、この店は、
目と鼻の先だから、来たかも知れないな..」

と、話していたら、
ラーメンが運ばれてきた..

「対馬!ぶち美味そうじゃのぅ..」

と、言っていたと思ったら、
速攻で、完食した!

本当に、どんな胃袋をしているんだ..

「対馬!こりゃ~
えらい、急な階段じゃのぅ!」

笠原が、驚いたように言うので、
僕は、言った、

「笠原!大震災では、
多くの市民が、この階段を
駆け上がり避難した、

石段をのぼった所が、
鹿島御児神社だ..

見てくれ、
ここからは、石巻原が
一望できるんだ!」

エピローグ

笠原が、遠くを見ながら言った、

「おぉ~ こりゃぁ、
ぶち、ええ眺めじゃ!」

笠原が、考え深く話し始めた..

「のぅ、対馬...

わしらは、この世に生まれるとき、
そうなるよう約束して、

各々関係ないように見えて、
実は繋がっちょったんじゃ!

昔の人は、ええ事を言ったもんじゃ..

『一期一会』 と、

わしは、広島へ偶に
飛行機で帰る事がある、

窓から地上をながめて、
いっつも思うんじゃ!

やれ“尖閣”じゃ!

やれ“領海侵犯”じゃ!

やれ“従軍慰安婦”じゃ!

やれ”反日”じゃ!

毎日そがなニュースばかりじゃ..
親父なんか、

やれ、生産性じゃ!

やれ、損益分岐点じゃ!

やれ、日程じゃ!

空から見る、
マッチ箱のような家を見て、

なんであんな、ちっぽけな中で、
しょ~もない事に拘って、

毎日生きちょるんかと..

ほいでも、飛行機が地面に
着陸すると、そのしょ~もない、
現実に引き戻されてしまう..

実は、地上の生活は、
ゲームの中の、仮想現実じゃないかと、
地上におる、わしらは、

日々追い回されちょる、
ゲーム機の中のキャラクターで、

飛行機に乗ったら、
プレーヤーとしての、

視野から現実が、
見えるんじゃないかと..

たぶん、宇宙から真っ暗の空間に
浮かぶ、青い地球を見たら、

なんであんな球の中で、
同じ仲間の人間が、
いがみおうちょるんかと..

ものすごく、幼稚な、
しょ~もない!事じゃと..

わしらは、自分が生きちょる、
この時代こそが、文化的、人間的な、
進んだ時代じゃと疑いもせん!

原始的な、時代の歴史を見て、
なんて、野蛮じゃったんだろうと思う。

ガキの頃の時代は、今より確実に、
不便な生活じゃった。

ほいでも、その時は全然不便に
感じちょらんかった。

なんで不満に感じんかったんか、
考えてみた。

よく考えてみたら、そのときは、
そのときで、時代の最先端じゃから、
過去を見たら不便な時代じゃ、

今いる時代こそ、最先端で、
それより進んだ未来は、
未体験じゃから、

不満に感じんわけじゃ!

ほいじゃが、今を知って、
その当時を振り返ってみると、

なんと、不便な生活を
しちょったんかと..

あの時代、
ようガマンしちょったのと..

そがなことを考えちょったら、
今の時代を見て未来の人から、

なんて野蛮な時代じゃったんかと、
笑われるかも知れん..

それと、自分が生まれ育った環境、
思想、価値観こそが、

一番素晴らしい考えじゃと、
思いこんじょる..

ペスタロッチの、教育方法言論に
こがな話がある、

猿を人間が育てても、
猿は、猿じゃ!

ほいじゃが、
人間は、猿に育てられりゃ~

猿になる!

しかし、人間が育てりゃ~

人間になる!

ほじゃけん、教育が大事じゃと..

わしの、爺ちゃんだって、
現代社会の中で、育ったとしたら、

くそ爺、くそ婆と、
言う人間になると思う。

じゃけん、正しい教育が、
大事なことじゃと..

わしらが今、学んじょる
人と人が、お互いを助け合う、
防大医科の教育方針は、

正しい事じゃないかと、思うで、、

わしは、宮城に来て、
震災の悲惨さを肌で感じた、

藤井 先輩に逢い、そのように、
生きたいと思った、

わしは、対馬の様に勉強はできん!

ほいでも、体力と運動には自身がある。

わしも、藤井 先輩の様に、
救急救命 の道へ進もうと決意した!

最前線で困った人を助ける!

人間、なんか、1つくらい、
取り柄が有るもんじゃ!ガハハハ..」

笠原の言葉には、
1点の曇りもなかった.. 

「ほいで、対馬!
お前は、どうするんじゃ..」 

今までの、僕の人生、
歩んできた道を振り返ってみた。

小さい頃から、虐められたおかげで
石高に進む事ができた。

その(石高)でも、虐められ、

僕は、なんと不幸な、
人間なんだと思った。

ふとした事から、
石高の、定時制に通う

青木 早苗 さんと、
交換ノートを始めた。

憂鬱な高校生活を、
過ごしていた最中、

未曽有の、東北大震災にあった。

大震災にあった、おかげで、
命の尊さ、人間の強さ、
絆の大事さを、身をもって体験し、

人間的に、大きく
成長することができた。

母は、大火傷したが、
本当に大事なものは何か、
知ることができた。

母が、大火傷したおかげで、
藤井 先生と、運命的な出会いをした。

藤井 先生に出会ったおかげで、
防大医科 に進学できた。

防大医科”に進学したおかげで、
規則正し団体生活を通じ、
人間として大きく成長している..

最大の収穫は、親友、
笠原、おまえに出逢えた事だ!

笠原 の故郷、広島旅行を通じ、
言葉に言い表せない体験をした。

平和の有り難さ、命の尊さ、
本当の幸せとは、知ることができた。

笠原のお爺さんと、藤井 先輩、
と、早苗 さんの、お爺さんは、
戦友だった。

『万事塞翁が馬』

早苗さんの言葉、
和美 君の周りでおこっている事、
私におこっている事、

全てに意味があるんだ、
本当だよ..

これらは、実は生まれる前から、
決まっていた事では、なかったのか?

これらは、全て 藤井 順三 先輩の
お導きでは、なかったのか?

しかし、本当に予想すら
出来ない奇跡的な繋がりだ!

虐められっ子で、泣き虫で、
気弱で、運動音痴の僕が、

今では、防大医科に学び、
規則正しい生活の中、
大勢の同期(仲間)に囲まれ、

こうして、
医学の道を目指している。

まったく想像さえ、
できなかった事だ..

広島で、笠原の、
お爺さんの話を聞いて、

将来の祖国に、
夢を託し命を捧げ、

血と汗と涙で作られた、
尊い礎の上に、
僕達が存在している現実を、

肝に命じた。

不幸のどん底から、
幸せになっていく人を見て、
嬉しくなっていく気持ち..

おさない子供が難病にかかり、
膨大な手術費用を集めようと、

両親が無心で、
駆けずり回る姿を見て、

僕も、
なんとかしたいと思う気持ち、

手術が、
成功したとのニュースを見て、

自分のことのように、
嬉しくなる気持ち..

かといって、人間同士の紛争で
罪もない多く命が、
あっけなく、なくなっている現実、

同じ人間でありながら、
人種、価値観、宗教の違いで、
憎しみあっている現実、

僕は、自問自答した..

僕達は日頃、色んな難問が発生し、
苦しんだり、逆に嬉しいことに、
喜んだり暮らしている。

でも、よく考えてみると、
笠原が言ったように、
今いる次元は、あるように見えて、

実は、仮想現実の
世界じゃないのか?

本当に僕達は、ゲーム機の中で、
振り回されている、

キャラクターに、
すぎないのじゃないのか?

人間の死と言うのは、ゲームで言う、
ゲームオーバーの事ではないのか?

この世の中は、
“X”、“Y”、”Z” +T(時間)、

4次元空間である、

これだけは間違いない。

当たり前の事だが、
時間軸Tがあるから、

X、Y、Z 同じ場所で、
物体どうし、ぶつからない。

実は、こんな仮想現実の
次元が集まって、
構成されているのが、

大宇宙ではないのか?

この次元と次元をつなぐ、
第5番目の軸が、
存在するのではないのか?

表計算ソフト(Excel)は、
7次元で構成され、

シートの(縦、横)
それらのシートが、
集まった物が(Book)だ、

つまり、1つのファイルは、
X(縦)、Y(横)、Z(シート)、
3次元で構成されている。

そのファイル群が、
パソコンの中に、
無数に存在している。

Excelには、外部リンクと、
いう機能があり、

自分とは、
違うファイルの、
セルが参照できる。

わかりやすく言うと、
自ファイルの、

X(縦)、Y(横)、Z(シート)
と、 自分以外のファイルの

X(縦)、Y(横)、Z(シート) 
ファイルどおしを、
繋ぐリンクと呼ばれる1次元。

つまり、
3次元 + 3次元 + 1次元 = 7次元だ。

ただ、7次元と言っても、
我々が暮らしている、
時空間とは違い、

正確には、シート(X、Y)の
行列の複数の
シートが固まりで、

Book(ファイル)が構成され、
他Bookも参照できるに過ぎない、

Excelとは、関係ないが、

ニュートリノの速度は、
毎秒30万6キロで、

光速より速い、
と、言われている。

この意味は、時が止まった状態..

時が止まった状態とは、
アインシュタインの特殊相対性理論、
日本名で、ウラシマ効果の事だ。

ウラシマ効果とは、物体の移動する速さが、
高速であればあるほど、その系の、

時間の流れが遅くなるという現象

光の速さに対する物体の速さの比の
2乗を1から引いて、

その平方根の分だけ、
時間の進み方が遅くなるとされている。

上記数式に、数字を当てはめてみると、

光の速さの100%のとき、
時間が進む速さは..

100 % = 1 つまり、
1の2乗は、1 なので、

それを1から引くと、0 になり..
平方根は、”0”

光の速度に到達すると、
時間は止まる!
と、言う事になる、

この意味は、時間がとまった状態で、
質量のある物質(ニュートリノ)が、
動いてると、いう事で、

光速を超える、ニュートリノは、

タイムマシンそのもの
と、いうことになる。

ニュートリノを電波として見たとき、
ニュートリノ放送とでも言いうか..

情報という形での未来との交信は、
可能?じゃないのかと、
思ったりしている。

何百キロ離れた肉親が、
死んだとき、虫の知らせ、
とか、昔から話があるし、

我々動物は、気付かないだけで、
すでに、ニュートリノ放送を聞く、
能力を持っているのかも知れない..

現在無数に飛び交っている、
テレビ・ラジオ・携帯電話の電波だって、

我々の能力で直接見る事は出来ない。

受信機を通し、
見たり聞いたり出来る為、

その存在を疑わない..

もし、この事を、
江戸時代の人に話して、
信じて、もらえるだろうか?

もしかしたら、ニュートリノ、
こそが、魂の正体なのかも知れない。

考えてみると人間の存在、
知恵、能力なんか、
大宇宙に比べれば、無に等しい。

『般若心経』は、
御経じゃなく、論文だと思う。

ニュートリノの確証を起爆剤に、
「般若心経」に書かれている事が、
実証されれば、

笠原が言ったように、僕たちは、
この世が、バーチァルリアリティー
仮想現実で構成されていて、

やれ尖閣だ、やれ反日だ、

どうでも良い事に気づき、
争うこと自体、
バカバカしく、なってしまう。

宇宙から地球を見る、青い球の中で、

やれ、民主主義だ、

やれ、社会主義だ、

やれ、領土だ、国益だ、

ほんとうに、バカバカしい..

今まで、僕のまわりで、
起こった出来事は、

このような考えを持たせ、

ここにたどり着く為に、
起きたんじゃじないか? 

僕は、本当に、
3つの約束をはたす為、

この世に、
生まれてきたんじゃないか?

僕は、果たすべき、
『3つの約束』 が見えたような気がした。

[3つの約束]

  1. 親孝行、
  2. 社会貢献、
    (世の中の人の為になる事を行う事)
  3. 常に感謝の心を持って事に当たる事

いや!今の僕には、ハッキリ見える!

確かに、石高時代、
早苗さんに、3つの約束を、
教えてもらっても、

当時の自分には、
理解できなかったに違いない..

広島で、順子さんが言っていた。

幸福とは、空気のような存在で、
あるのがあたりまえ、

無くなって初めて、
有り難さに気づく物だと思います。

幸福の"青い鳥"は身近にいます。

それに気づくことこそが、
大事だと思っています。

幸福の青い鳥は、身近にいる!

それも、手の届くところに..

人間の欲、煩悩(ぼんのう)
に、隠されて、
気づかないだけだ!

僕たちは、地球が太陽の周りを、
回っている事を、
当然の事として疑わない。

しかし、ほんの500年前は、
真剣に、天動説を信じていた。

僕たちが疑いもしない常識、学問、
及び、人間の能力なんて、
しょせん、こんなものだ..

  • 耳に聞けないものを聞け!
  • 目に見えないものを見よ!
  • 生かして生かす方法を発見せよ!

どこからか、声が聞こえた。
いや!確かに聞こえた!

我に返った僕を見て、
笠原が、つぶやいた、

「対馬、ところで、
専門進路を決めたんか!?」

僕の心は、決まっていた!

それも、揺るぎのない決心だ!

今まで、身の周りで起こった全ては、
この答えを出し、
ここに到達する為に、起こったんだ!

笠原に、ハッキリ言った、

「僕は、決めた!
脳神経外科の道を歩む!

それが、どんなに厳しい道でもだ!

僕は、必ず、
日本一の脳神経外科医、

いや!世界一の脳神経外科医に、
なって見せる!

早苗さんや、津田 選手、
病に苦しむ、世界の人達を、
助けられる人間になって見せる!」

笠原が、満面の笑みで言った、

「脳神経外科の道は、
わしの頭じゃ無理じゃが、

対馬なら絶対大丈夫じゃ!

対馬!わしは、体力の要る、
救急救命の道を、
絶対に、極めちゃる!

お互い日本一、いや世界一の、
脳神経外科医、
救急救命医を目指そうで!

ガハハ…」

僕は、早苗さんが言った、
言霊、が気になった。

「ウト・ガリアラカロ・ココ」、、

僕は、その呪文の意味に気づいた!!
「ウト・ガリアラカロ・ココ」

逆に読むと

 「ココロカラ・アリガトウ」

そのとき、早苗さんの
ピンクのノートが、
風でめくれあがり、
最後のページが現れた。

そこには、力強くこう書いてあった!

魔法の言霊、

「ココロカラ・アリガトウ」

「心から、ありがとう」

無意識に、涙が溢れてきた..

なぜ「ありがとう」なのか、
今の僕は、その言葉の意味がよくわかる。

中国語 - 「谢谢(シェイシェイ)」

韓国語 - 「감사합니다(カムサハムニダ)」

タイ語 - 「ขอบคุณ(コープクン)」

英語 - 「Thank you(サンキュー)」

フランス語 - 「Merci(メルシー)」

ドイツ語 - 「Danke(ダンケ)」

イタリア語 - 「Grazie(グラッツィエ)」

スペイン語 - 「Gracias(グラシアス)」

ポルトガル語 - 「Obrigado(オブリガード)」

スエーデン語 - Tack(タック)

世界各国には、『ありがとう』と、
言う、言葉があるが、

日本語の『有り難う』は、違う、

有ることが、難しい.
と、書く、、

あり得ない、非常にまれな事、
通常起きない事と、言う事だ、

早苗さん、藤井 先生、笠原、
笠原の、お爺さんとの出会い、

全てが奇跡、

「心から、ありがとう!」だ!

早苗さんの気持ちが、伝わってくる、
これが、愛なのだと僕は感じた。

これまで、僕の周りで起きた事には、
全てに意味があった..

僕を生んで育ててくれた、母に、

「ありがとう」、

虐られて、

「ありがとう」、

震災に逢わせてもらい、

「ありがとう」、

素晴らしい親友!笠原に出会えて、

「あいがとう」、

そして、早苗さん..

「心から、ありがとう!」、

僕は、しばらく涙もぬぐわず、
『心から、ありがとう』の文字を、
見つめていた。

しかし、
今日は、よく泣く日だ..

気づくと、日和山から、
爽やかな風が吹いていた。

僕と、笠原は、
心地よい風に吹かれながら、
北上川の、せせらぎを見つめていた。

その時である、

懐かしい、ほのかな薔薇の香りを感じた。

それは、間違いなく、あのときの、
ピンクの交換ノートの香りだ!

笠原が言った。

「対馬、なんか薔薇の、
ええ香りが、せんかったか?」

僕には、わかった、それは、
僕達への、早苗さんからの祝福だ!

僕は、心の中で誓った。

早苗さん 見ていて下さい、
世界一の、脳神経外科医に、
なって見せます!

日和山からは、
いつものように、ひぐらしの蝉しぐれが、

心地よく響いていた...

【END】

『川の流れのように』

歌 : 美空ひばり

作詞:秋元康 作曲:見岳章

リリース: 1989年

後書き

最後まで読んで頂き、
ありがとうございます。  

どんな事を感じられましたか?

順子さんが言ったように、
幸福の、青い鳥は、

あなたの、手の届くところ、
身近にいます。

日頃の雑念に隠れて、
見えないだけなのです。

大和ミュージアムでの、
大和の模型展示は、色んな角度、
位置から見れるよう、

吹き抜けに展示したそうです。
(展示の狙いを、話の中で、
書かせていただきました。)

実は、私、
虐めに遭った経験が有りません。

逆に人を虐める、立場でした..

その反省の意味も含め、
この小説を書きました。

そんな訳で、
虐め部分の話に関しては、

ネットの話題を基に、
全て想像で書きました。

私は、文章構成力などない、
落ちコボレの理系の人間です。

そんな訳で、あやしい文脈、
誤字脱字、多々有ろうかと思います。

それに免じて、
許していただければ、
幸いに思います。

笠原 君、寛治君のお爺さん,、
及び 対馬君の、話には、

私の思い、
価値観が含まれています。

どこの国の人でも、
見かけは、違えど、

人類と言う事で根底では、
繋がっていると思います。

体験上、言葉が、
話せるはずもない国の人と、

なぜか酒の席では、
魂と魂で、意思の疎通が、
図れるのです。

おそらく犬、猫は言葉で、
苦労しないでしょう..

“ありがとう”と書きましたが、
この言葉は、
五日市剛さんの魔法の言葉です。

ほんとうに、
不思議な力を感じています。

それと人間だけが、
持っている能力です。

嬉しいときは、もちろんですが“、
悲しいとき、困難なとき、不幸なとき、

この 「ありがとう」と言う、
言葉を発すると、必ず、
事態は、好転します。

たとえ、事故を起こしたときでも、

たとえ、肉親を亡くした、
ときにでもです..

だまされたと思って、
実践してみてください、

きっとあなたも、
その力に、驚くはずです。

【最終章】 著: 脇屋 義直


この小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは、
関係ありません。

東日本大震災については、
実際の証言に基づき
執筆しました。

被災された方々には、
心からご冥福をお祈りいたします。

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